ブランドとは、単なるロゴやイメージではない。
それは「文明の記録装置」である。
私たちはブランドを通じて、ある時代のテクノロジーやデザインの水準、そして社会の価値観までも記録している。
たとえば、家電製品を思い浮かべてほしい。
ソニーやパナソニック、アップルのようなブランドは、単に機能を提供しているわけではない。
そこには「時代の知性」が刻み込まれている。
ある時代における技術の到達点、デザイン哲学、人間の欲望と生活様式が、その製品群に封じ込められているのだ。
ブランドが存在することで、社会は「投資の理由」を得る。
ブランドの信頼があるからこそ、消費者は高い価格を支払い、企業はテクノロジーとデザインに資金を投下できる。
その資金が、より優れたエンジニアやデザイナーを雇い、次の時代の文明を切り取る製品を生み出す。
つまり、ブランドは「文明の更新を可能にする装置」として機能している。
ファッションブランドも同じだ。
ここではテクノロジーよりもデザインの含有量が高い。
高額なデザイナーを雇い、素材や形の探求を通じて、時代の空気を形にしていく。
そこには「美の思想」や「文化の輪郭」が記録されている。
服とは布ではなく、文明の断片である。
このように考えると、ブランドが高価であることには理由がある。
高いブランドほど、より多くの人材と時間、思想が注ぎ込まれている。
つまり「より高い解像度で文明を記録している」のだ。
ブランドの価値は、単なる所有欲の満足ではなく、文明を保存・更新する力そのものにある。
そして、ブランドが高額であるということは、文明の継承コストでもある。
私たちはその対価として、文化を未来へ渡しているのだ。
高いブランドを支える消費行動は、単なる贅沢ではなく「文明への投資」でもある。
だからこそ、ブランドは高いことに問題はない。
そして、高いほうが、より多くの才能が集まり、より正確にこの時代を刻むことができる。
ブランドは、文明が自らを保存しようとする仕組みであり、人類が「記録」という形で進化を続けるためのメディアなのである。


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